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緊急クラウン・ジャポンにご協力求む!

※今日のブログの最後に香川県にお知り合いのいらっしゃる方々への「ご協力のお願い」があります.よろしければ是非最後までお読み下さい.

先月,SVP東京の投資協働先選考会を見学させて頂き,そこで私が衝撃を受けた出会いがありました.

それはドクター・クラウンをされている「緊急クラウン・ジャポン」の村上純子さんとの出会いです.

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>右の方が村上さんです.

村上さんはフランスで俳優・クラウンとしてのご経験を積み,現在はフランスと日本を行き来しながら病院や高齢者施設などを訪問し,赤い鼻をつけたクラウンとして,病いや老いによる様々な痛みに向き合わざるを得ない方々に明るい笑顔を届けていらっしゃいます(クラウンとは道化の意味,ピエロはクラウンの役柄の1つだそうです).

緊急クラウン・ジャポンは,そういった病院や高齢者施設を訪問するクラウン(ドクター・クラウン,あるいはホスピタルクラウンと呼ぶそうです)を派遣する活動と,クラウンの担い手の育成やクラウン体験のワークショップを一般の方々にも提供している団体です.

SVP東京の投資協働先選考会で,村上さんをはじめ緊急クラウン・ジャポンの方々のプレゼンテーションを拝見したのですが,本当に笑いあり涙ありの素晴らしいプレゼンテーションでした.映画やテレビでしか知らなかったパッチ・アダムスが目の前にいる感じでした.

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>皆,赤い鼻をつけています.真ん中が村上さん.

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>クラウン達によってプレゼン会場は笑いの渦に包まれました.

人は笑うことで免疫機能が向上し,元気になることが多くの研究からわかってきています.しかし,一旦病気を患ったり,あるいは病や老いによって死に向き合わざるを得ない状況の中では心の底から笑うことは難しくならざるをえません.

そのような状況にいらっしゃる人々を訪問し,お一人おひとりの心に触れ,笑いを引き出す活動.このことは本当に価値のある活動であり,同時にとても大変な活動であると思います.クラウンの方々も時には自分自身の迷いと闘うこともあるでしょうし,簡単には心を開かれない方々と関わるかもしれない以上は多くの忍耐力が求められるでしょうし,何よりも人間に対する愛がなければ出来ないことだと思います.

ところで,クラウンの方々の活動に対して,病いや老いが進行していてもはや死を免れない状況の方々であれば,笑って免疫機能を上げても意味がないのではないかというちょっと冷めた見方も出来るかもしれません.少しそのことを考えてみたいと思います.

世界保健機構(WHO)は,健康の定義を次のように変更しています.

1948年の定義「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり,たんに病気あるいは虚弱でないことではない」

1999年に変更された定義「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり,たんに病気あるいは虚弱でないことではない」

大きな変更点の1つは霊的という言葉が挿入されたことです.ここで霊的と言われているのは,別に前世がどうのという話ではありません.霊的という概念として重視されている点は,心の平安,内的な強さ,人生の意味などであって,どのような状況にあっても抱き続けることの出来る人間としての内的な尊厳や前向きさとでも言えるものです.

病には治る場合と治らない場合がありますし,老いに関して言えば誰もがそれに逆らうことは出来ませんから,やがて死を迎えざるをえません.そんな状況でも笑いが重要だと考えるのは,笑いを引き出そうとするコミュニケーションが人間に対する愛に基づいているからです.このことが霊的な意味も含めた人間の健康に寄与しないはずがありません.したがって冷めた見方をしている場合ではないのです.

さて,少し話がそれたので本題に入ります.実は,緊急クラウン・ジャポンの村上純子さんともうお一人のクラウンの方(クラウンの訪問活動は通常2人一組で行われます)がこの秋に香川にいらして下さることになりました!イェイ!

直接的な目的は,私どもの実践型社会起業家論の授業における講師としてです(授業では,クラウンのワークショップもしていただきます.受講生はクラウンの赤い鼻をつけられます!).

そしてここからが香川の皆さんへのご協力依頼の内容なのですが,香川県内で緊急クラウン・ジャポンのお2人のクラウンから訪問を受けたい病院(特に小児病棟)や老人施設をご紹介頂きたいのです.出来れば緊急クラウン・ジャポンの定期的な訪問拠点となる場所が香川県内に誕生することを希望しています.もしご紹介いただける施設がありましたら八木までお知らせください.メールはこちらからどうぞ

ご紹介いただいた施設には,八木が緊急クラウンジャポンの資料と映像を携えてご説明にあがりたいと思います.その際は,日当等の条件についてもご相談をさせて頂きます.今回のクラウンのお二人の交通費は香川大学側が負担しますのでとてもリーズナブルな機会でもあります.なお今回の訪問は日程的に最大3施設程度となりますので,ご紹介いただいた施設全てに伺えるとは限りませんことを先にご了承下さい.

以上が「ご協力のお願い」でした.長文を最後までお読み頂きありがとうございました.

生と死、獲得と喪失

今年の4月から週1回、関西学院大学社会学部の聴講生をしています。聴講している科目は藤井美和先生の死生学です。

死生学藤井先生との出会いについては以前ブログでも書かせて頂いたのですが、私自身が死生学に強い関心を持っている理由の一つは、現在のビジネススクールの教育科目には偏りがあると思ってきたからです。

ビジネススクールでは、競争戦略論をはじめ、「戦い」をイメージさせる科目が数多くあります。ビジネスにおける戦いの目的は、投資に対する経済的な利潤を最大化して獲得することであり、戦いを教えるということの中身は「獲得」のノウハウを教えるということです。つまり獲得ノウハウの教育の場がビジネススクールであるとも言えます。

しかし、人間を個人のレベルで見ると獲得というコンセプトがカバーできる範囲には限界があります。それは誰しもいつ死ぬかわからないからです。誰もが死に向かって生きており、我々は皆死にゆく人だと言うことが出来ます。そして、死にゆく過程とは獲得だけではなく、多くのことを喪失してゆく過程であると言えます。実際に身体的な制約から出来なくなることが沢山でてきます。人と会うことや趣味であっても断念せざるをえなくなっていきます。

ビジネススクールは別に人生を教える学校ではないのだから獲得だけを教えても問題ないという考えもあるかもしれませんが、やはり獲得だけを教えることには偏りがあるのは事実です。獲得だけを目的として飽くなき競争をすることが今日の世界的な景気後退を生み出してきた一因であることや、ワークライフバランスの問題を生み出してきた一因であることは否定することが出来ません。

経済的な目的とそれ以外の目的は関連しあっており、時に金銭は他のより重要な目的を達成するための不可欠な手段になるなのだから、まずはお金がないとはじまらないだろうという指摘も当然ありますが、経済的な利得を獲得するために働きすぎてストレスで病気になったり、家族の関係が悪化したり、生き甲斐を喪失してしまったりといった問題が後を絶たない現実に対して答えにはなっていません。

藤井先生は死も含めて生を考えることの大切さを授業の中で何度もおっしゃっていました。そしてそれは喪失も含めて獲得を考えるということの大切さでもあると思います。私たちの様々な目的にはそれぞれ異なる重みがありますが、私たちはその重みの相対性について無自覚であることが多いように思います。そしてその原因は、死や喪失について考えることをタブーとし、考慮の対象外としている社会的な風潮とも関係があるのではないかと思います。戦略論では、限られた資源を有効に使う為に目的にも優先順位をつけるようにと教えますが、死や喪失も含めて目的の再検討をすることが重要ではないかと思います。

「人間として死や喪失の過程を学ぶこと」、「獲得と喪失を一体のものとして捉えながら仕事の目的を考察すること」これらのことを教育の中に組み込んでいくことがこれからのビジネススクールにとって大きな課題であると思います。

藤井先生との出会い

今日は以前からずっと楽しみにしていた関西学院大学の藤井美和先生と出会いの機会を頂きました。死生学を研究されていらっしゃる藤井先生から死と生命についてのお話をお聞きし、本当に多くのことを学ばせて頂きました。NHKの番組や4月18日の朝日新聞の記事にも紹介されているように、先生の授業では「死の疑似体験」というワークが行われています。このワークの背景には、藤井先生ご自身が経験された全身が動かなくなる重いご病気や、そこで感じられた「私は何のために生きてきたのだろう」という深い問いかけ、そしてそのご経験を通じて受け取られた「あなたはそこにいるだけで貴い」というメッセージ、そういった藤井先生の人生における様々な出来事があったことをお聞きしてとても深い感銘を受けました。現代において死はタブー視される風潮があると言われます。たしかに死は日常の中でほとんど語られていないように思います。しかし、その一方で死を見つめることを通じて藤井先生のように人生の本当の意味を感得される方が多くいらっしゃることも事実であることを学ばせて頂きました。だからこそ死を疑似体験する藤井先生の授業の価値と意義は本当に大きいと改めて思いました。経営者を育成するということをミッションとするビジネススクールにおいても死と生命について真剣に考えることの価値は大変大きいと思います。経営者は企業という場を創ることを通じて多くの人々に働く場を提供し、生きがいを提供することが出来ます。しかし、同時に職場における様々な問題を通じて生きがいを見失ってしまう人々が沢山いらっしゃることも最近の報道でよく目にします。本当に大切なものを見据えるための内省と対話が現代社会には強く求められているように思えてなりません。ビジネススクールの使命についても深く考えさせられる出会いでした。藤井先生、本当にありがとうございました!藤井先生のご著書紹介「たましいのケア」・・・藤井先生がされたご病気の経験やその後の歩みなどが記されていてとても感動的な本です。私も今日読ませて頂きました。kanseigakuin.jpg関西学院大学のキャンパス とても綺麗で驚いてしまいました♪

死生学

先日、6月20日にNHKのニュース番組「ニュースウォッチ9」に関西学院大学の藤井美和先生が御出演になり、「死生学」に関する授業の様子が放映されました。死生学に関して私は全く知らなかったのですが、個人の死と死生観に関する学問ということでした。藤井先生は死を含めて生を考えること、そして生と死にまつわる様々な問題について私たち人間がどのように考え関わっていくかについてご関心を持たれているとホームページに書いていらっしゃいました。番組を見てすぐにこの死生学が持つ経営教育に対する重要性を直観しました。ひとつはキャリア教育に対する重要性です。ビジネスを中心とするキャリア教育では死というテーマはほとんど扱われていませんが、私たちは実際に同僚の訃報に接するといった経験をしながら、自分自身にもいつかそのような 時が訪れることを知っています。その時の視点から今を考え、仕事を考え、キャリアを考えることの重要性は非常に高いと言えます。また、リーダー教育に対する重要性もあります。リーダー自身が自分もやがて必ず死を迎えるという視点から、そもそも何のために頑張るのか、何のために仕事をするのか、という価値観の部分を深く理解できるかどうかは、より一般的な人間理解の深まりに対しても直結するものと考えられます。そして人間理解の深まりは当然のことながらリーダーシップの深まりにもつながるはずです。現代社会は死をタブー視すると言われていますが、そのことには少なからぬ弊害もあるのではないでしょうか。法的な視点から見ても死者には財産に対する所有権がありません。私たちは死によってすべてを手放すことになります。その視点に立つ時にくっきりと見えてくる大切なことはたくさんあると思います。不祥事の多い昨今の経営状況を見ていると、人間にとって本当に大切なものを見つめ直す機会の必要性を感じずにはおれません。死生学の重要性は今後ますます高まっていくと思います。

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